ドゥ・ビィ・フォビアの悪夢②(0:0:1)
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「どうも、鬼テンジクネズミみたいに生きたい。」
「オラトリオです、よろすこ。」
際闇(さいやみ)と化したフロアでは、「無音」が鳴っている。
抜けていくのは「エコー」と呼吸音のみ。
マイクを手にした「ぶちょーさん」を青い光がぼんやりと照らす。
汗もかかずに、静かに彼女の言葉を待つ。ポメラニアンみたいに。
「なんていうか、そう、わざわざ高いお金払ってまで来てくれてありがとう。」
「おかげで今日の夕食に納豆がプラスできるよ。」
「毎度毎度言ってるけれど、今日の演奏を、ううん、今日の私たちを。」
「君たちに見てほしくて。」
「損はさせないよ。もし良いと感じたら、おひねり頂戴。そしたらとろろ芋も買えるから。」
「それでは、聞いてください。」
「いくよ、【パセリ】」
彼女が、後方のステージ彼の「名前」を読んだ瞬間。
彼が筆を振り上げたのを私は見逃さなかった。
なあ、穂のか。
なあ、穂のか。
いいだろ、穂のか。
いいよな、穂のか。
泣くな。
泣くなよ。
なあ、穂のか。
泣くな。
殺すぞ。
彼が最初に選んだ色は、橙(だいだい)だった。
振りかざされた筆が、キャンバスを殴るかのように
線を引き、色を弾き(はじき)、音に合わせて、彼は踊るように
その一枚の白いキャンバスへと、表していく。
青さんが、リズムを刻み、ぶちょーさんがメロディを奏で
そして、「パセリ」と呼ばれた彼が、その後ろで、踊るのだ。
「曇り空の下手を差し伸べたのは」
「いつかの吠えた野良犬で」
「悲しそうな顔しないでよって言う」
「その顔が悲しそうなのに」
「どうしてこんなに」
「君は優しくないんだろ。」
「曖昧な世界。」
「曖昧な正解。」
「愛、マイナー、世界。」
おとなしく、ひらけばいいんだよ。
きもちいいだろ?
何人の男をくわえてきたんだ、このあばずれが。
いやらしい。
おまえはいやらしいんだよ。
ん?
「暗い街の中手を噛んだのは」
「いつかの吠えた野良犬で」
「悲しそうな顔してるっていう」
「その顔が悲しそうなのに」
「どうしてこんなに」
「君は優しくないんだろ。」
「曖昧な、正解。。」
「曖昧な世界。」
「愛、マイナー、正解。」
「地平線に浮かぶ三つの」
「停止線の上で」
「私はいつだってあなたの」
「そんなあなたの」
「掌(てのひら)をまっていたというのに。」
「言わないで、グレイハウンド」
「私が不幸だなんて。」
なんだ、穂のか、おまえ。
処女だったのか。
ぎらぎらの。ぎらぎらとした。ぎらぎらが。ぎらぎらと。
ぎらぎらばかりが。私を、私を、私を。
「地平線に浮かぶ三つの」
「停止線の上で」
「私はいつだってあなたの」
「そんなあなたの」
「掌(てのひら)をまっていたというのに。」
「言わないで、グレイハウンド」
「私が不幸だなんて。」
刃(は)は、上向きでなければいけない。
上向きで持たなければいけない。
上向きで、持たなければならない。
下向きに持つと、滑った拍子につるりと刃が滑ってしまう。
上向きでなければ、いけなかった。
僕が終わらせなければ。優しい、穂のか。
かわいい、穂のか。
やれ。しろ。やれ。やれ。やるんだ。
穂のか。優しい穂のか。
僕は穂のかの為に。
ドウ・ビイの呪いを断ち切る。断ち切らねばならない。
幸い(さいわい)、まだ、夜の帳(とばり)は下りたばかりだ。
僕は、父の背後に立つと、思い切り深く、首の根本だけを狙い。
右手を振り下ろした。
のど元には、達しなかったためか、父であった「それ」は
首を切られた酒呑童子(しゅてんどうじ)のように
髪を引きちぎられた死体のように
苦悶の表情ともとれる、空虚をにらみつけるような顔で、眼(まなこ)で
僕を強く、強く、睨みつけ、その眼光のまま、その姿のまま。
ぎらぎらの。ぎらぎらとした。ぎらぎらが。ぎらぎらと。
「だいじょうぶ。」
「彼」は、過呼吸が始まった私の頭をステージの上から。
ひとなで、すると。
ひときわ大きな刷毛を掴んで、橙色のペンキの入ったバケツへ深く突っ込む。
右手ごとペンキまみれとなったその刷毛を、したたる雫もそのままに。
その「橙」を。
ぺたり、ぺたりと私の顔へと塗り付けていく。
曲が進む中、周りのてるてる坊主たちもあぜんとしてしまっている。
「な、なにするんですか。パセリさん。」
「知ってる?橙色は馬鹿の色なんだ。」
「ば、馬鹿・・・?」
「そう、馬鹿。」
「わ、私、馬鹿じゃない!」
「知ってる。だから、塗ったんだよ。」
今日は、君の為に描くよ、穂のか。
彼はそう言うと、橙色を潜めたバケツの柄をしっかりと握った。
「名前、憶えてくれてたんだ。」
「地平線に浮かぶ三つの」
「停止線の上で」
「私はいつだってあなたの」
「そんなあなたの」
「掌(てのひら)をまっていたというのに。」
「言わないで、グレイハウンド」
「私が不幸だなんて。」
彼女たちの歌が、つらい過去や記憶を呼び起こす。
それが嫌だっていうひとも、たくさんいる。
「オラトリオ」の歌は、あまりにも「感傷的」だって。
でも。
私はすき。
いくら、脳髄をめった刺しにされても。
もう過去に戻ることのできない私にとって
過去と向き合う方法は、これしかないのだから。
顔ファンと呼ばれる、見た目だけのファンもいるなか
こうしてわざわざテルテル坊主になっている人たちのほとんどは
私とおなじく、彼らを、ううん、彼女たちを愛してやまないのだ。
オラトリオは、ヒトの傷を広げる。
オラトリオは、傷口に塩を揉む。
オラトリオは、トラウマを掘りおこす。
でも、そのままにはしない。
それは、「オラトリオ」の一人として、「彼」がいるからだ。
「暗い街の中手を噛んだのは」
「いつかの吠えた野良犬で」
「悲しそうな顔してるっていう」
「その顔が悲しそうなのに」
「どうしてこんなに」
「君は優しくないんだろ。」
「曖昧な、正解。。」
「曖昧な世界。」
「愛、マイナー、正解。」
「地平線に浮かぶ三つの」
「停止線の上で」
「私はいつだってあなたの」
「そんなあなたの」
「掌(てのひら)をまっていたというのに。」
「言わないで、グレイハウンド」
「私が不幸だなんて。」
彼はいつも、ステージの上では「青い眼」でキャンバスを見つめている。
それは色そのものの事ではなく。
眼光の纏う(まとう)オーラが、青なのだ。
静かに。
落ち着いていて。
海の底のような。
雲の上のような。
その彼が、未来や現在。
または願望。そして希望を描いてくれるから、路(みち)に迷うことはない。
あの巨大なキャンバスに、
一人ひとりの心の中にある岸(きし)を投影している。
きっと、単純に、彼の曖昧な色彩が
私たちの感情の幅を震わせるのかも知れないけれど。
でもなんとなく私は、
彼は一人ひとりの色が見えてるんじゃないかって思う。
彼が、手にもったバケツを、放る。
ファーストインパクトの、完了。
彼が放ったペンキは、キャンバスにがっちりと組み込まれ
ステージに滴り(したたり)ながらも
その橙(だいだい)を暗闇で光らせていた。
「見ろよ。」って
いたずらに笑ってるみたいだ。
ざばざばと、刷毛を大胆に次のバケツに手まるごと突っ込んでいく。
そして斬鉄剣よろしく、キャンバスを切りつけるその姿は。
きっと、それは。
私たちの「悪夢」を斬るみたいに。
キャンバスを切りつけていく。彩っていく。
そのたびに、赤く伸びた線がその海には広がり。
「灰色の歌」に、色をつけていくのだ。
「さよならの墓地(ぼち)では私のこと皆が知っている」
「明日のことも涙するなんて」
「なんて憂鬱な女なんだろうって」
「石達が笑う、まるで動かないみたいに」
「言わないで、グレイハウンド」
「私が、可哀そうだなんて。」
彼の眼(まなこ)が段々と光を増していく。
フロアのミラーボールは、段々と光を乱反射して
私たちと、オラトリオと、彼を、きらきらと照らしていく。
きっともう彼の頭の中では、完成しているのだ。
その絵がどうなるのか。そしてその後私たちがどうなるのか。
口元は、動かない。
実に真剣だ。でも、でも。
きっと、笑っていると思う。
穂のか。
なにも怖いなんてことない。
いいから、はやく。
いい、すごくいいぞ。
私は不幸なんかじゃない。
私は不幸なんかじゃない。
私は、不幸なんかじゃない。
本当だよ。
嫌いじゃないんだろ?
こんなに濡らして。
可哀そうに。
すぐ楽にしてやるから。
私は、可哀そうなんかじゃ、ない。
「大丈夫だよ。」
その絵が、言ったような気がした。
私は、瞳を滲ませながら、それでもその絵の完成を見届けようと
食らいついている。
彼が使ったペンキは、濃さは違うけれど赤と橙の二色だけ。
その、二色だけで、描かれたそれは、
私が一番好きだった夕焼けを
簡単に呼び起こした。
そうやって、記憶とかっちりはまった瞬間から
私は涙が止まらなくなる。
写真や、映像よりも、鮮明に、強烈に。
私のその時の気持ち、
相手の表情や、
そういったものを。
まるで、今、目の前に広がっているみたいに。
鮮明に、くっきりと。感触を残して。
思い出される。
そうなったらもう、ダメだ。
あとは、傷口を洗い流すだけ。ばい菌の入る余地もないくらいに。
だばだばと、涙を流す。流し続ける。
池袋で?
ううん、池袋だもの。
「さよならの墓地(ぼち)では私のこと皆が知っている」
「明日のことも涙するなんて」
「なんて憂鬱な女なんだろうって」
「石達が笑う、まるで動かないみたいに」
「言わないで、グレイハウンド」
「私が、可哀そうだなんて。」
放課後のチャイムには、何か心を焦らせる魔法がかかっていると
彼は言っていた。
ざりざりと、黒鉛をキャンバスに写していく。
右手に持った炭は、キャンバスとこすれるたびに小さくなり、
キャンバスを微妙な位置から、傷つけていく。
しかし、そうしなければ「絵」というのは完成しないのだと。
少なからず、彼の場合は。
「パセリさん。」
汗だくの彼に、ぎこちない私。
彼は体中をペンキに濡らしながら、私の顔をまじまじと見る。
「きちんと、泣けたみたいだね。穂のかちゃん。」
はにかんだように、彼が笑う。
飛び散った橙が、フロアの至る所に滲んでいる。
ミラーボールが、私たちを照らしていない。
その姿は、見たことのない満月を、簡単に想像させ
私は、涙ぐみながら、彼の顔をじっと見つめた。
「馬鹿のペンキが涙跡をはっきり残してる。」
ぴっ、と私の頬を指さすとやはり彼は笑った。
「何かのむ?顔に塗ったお詫びに奢るよ。」
「…じゃあ、シンデレラ。」
「シンデレラ…?この不良娘。」
まったく、と言いながらパセリはバーカウンターへと歩く。
私も後ろをついていく。
フロアでは、まだ熱狂的に演奏が続けられている。
パンクなのか。ロックなのか。
定義はよく解らないけれど、
でもそれが魂の叫びなんだってこと。
最近は、ようやくわかってきた。まあ、青さんの受け売りだけどね。
この小さな秘密基地では、日夜こうして世界征服を企む悪の組織が、
はたまた百万馬力の正義の味方が、
お互いのことをまるで無視して
「無音」を消していく。
「世界」を作っていく。
穂のか。優しい穂のか。
僕は穂のかの為に。
ドウ・ビイの呪いを断ち切る。断ち切らねばならない。
幸い(さいわい)、まだ、夜の帳(とばり)は下りたばかりだ。
僕は、父の背後に立つと、思い切り深く、首の根本だけを狙い。
右手を振り下ろした。
のど元には、達しなかったためか、父であった「それ」は
首を切られた酒呑童子(しゅてんどうじ)のように
髪を引きちぎられた死体のように
苦悶の表情ともとれる、空虚をにらみつけるような顔で、眼(まなこ)で
僕を強く、強く、睨みつけ、その眼光のまま、その姿のまま。
ぎらぎらの。ぎらぎらとした。ぎらぎらが。ぎらぎらと。
「隼人(はやと)・・・お前・・・。」
父のしゃがれた声が、血液の脈々とした流れに逆らえず
ごぼごぼと、あぶくを出しながら「くらむぼん。」
海の底へ、沈みゆく。地の果てに、沈みゆく。
崩れ去ってゆく。「父」だったもの。
断ち切れ、断ち切れ。すべてを断ち切れ。
何度も、何度も、崩れ落ちた「元父」の背に
刃を振り下ろしていく。振り下ろして、振り下ろす。
「…おにい、ちゃん…?」
ぱっと廊下から電気が差す。やさしい穂のか。
僕は手を震わせながら、振り向けずにいる。
いったい僕は、今、どんな顔をしているだろう。
僕は手を震わせながら、振り向けずにいる。
続。
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