ドゥ・ビィ・フォビアの悪夢①(0:0:1)
◆シナリオ/シチュエーションを使用する前に必ず上記利用規約をお読みください。
「ドウ・ビイ・フォビアの悪夢。」
まだ暗がりの中、僕はその部屋の前で
言葉の通りに、棒立ちで在った。
窓からは少しひんやりとした冬の匂いと共に、
降り始めた雪をまとった風が、入り込んでくる。
鼻から、鼻腔にかけて、その冷たい空気を吸い込む。
そのまま浅く吸い込んだそれを、ゆっくりと
降り始めた雪が溶けてしまうほどの、時間をかけて。
吸い込む。吸い込んでいく。
音もなく、しんしんと降る雪を外目に
なびく、カーテン。そよぐ、前髪。
吐き出さない。まだ、吐き出さない。
脳内の酸素濃度をそのままに、きもちを落ち着かせていく。
右手には、タオル。
左手には、包丁。
ぎらぎらと、光る、包丁。
今朝、ウインナーと、ほうれん草を切った、包丁。
ぎらぎらと光る包丁。
黒くプラスチックの加工が施された包丁の柄(え)を
ぎっ、と握ると。
じんわりと、手のひらの汗が濃くなっていくのがわかる。
汗は手のひらから、柄に伝い、その熱で
雪を、きっと雪を「溶かす」だろう。
タオルを右手に、ぐるりと巻き付ける。
巻き付け、その上から包丁を握る。握りしめる。
刃(は)は、上向きでなければいけない。
上向きで持たなければいけない。
上向きで、持たなければならない。
「今日は、きれいな満月なんだってさ。」
「穂のか」が言っていた。
でも、満月って今まで一度も見たことないんだ。
遠い目をして、穂のかが言っていた。
いつも、あと少しで満月って時に、明日は見なきゃって思うんだけど、忘れちゃうんだ。
「じゃあ、今見ればいいじゃないか。」
僕がそういうと、穂のかは
くゆん、と崩れた笑顔で言うのだ。
そうだよね。そうなんだけどさ。よくわかんないんだ。
なんだかぼやけちゃってさ。
穂のかは涙を溜めながら、そろそろ寝るねと僕に残すと
部屋に戻っていった。扉が閉まる。がちゃりと鍵がかかる。
嗚咽(おえつ)が漏れる。嗚咽が漏れる。嗚咽が漏れる。
僕はなにも言わない。言わない。
人間は宙(そら)に浮かぶことを望んでいる。
飛ぶ。浮かぶ。浮遊する。
それらがすべて、崇高(すうこう)な事なのだと
気が遠くなるほど昔から定義づけされていた。
天使や悪魔にはなぜ、翼が描かれた?
神様は、なぜ、天の国にいると?
人は、死んだら土に埋められてしまうのに?
魂や、精神のようなものだけが、天にのぼるとでも?
くそくらえだ。
人間には、二つ、呪いがかけられている。
DO。(どぅ)
BE。(びぃ)
ドゥ、しろ。ビィ、なれ。
何かをしろ。何かになれ。
何か偉大なことをしろ。
何か偉大な人間になれ。
何か人の為になることをしろ。
何か人の為に生きられる人になれ。
もうすでに。ドゥ。しているし。
もうすでに。ビィ。なっているはずなのに。
「お兄ちゃん、今日は冷えるからちゃんと温かくして寝てね。」
嗚咽の途切れた部屋の、扉を隔てた向こうから
穂のかの声が聞こえる。
穂のか。優しい穂のか。
僕は穂のかの為に。
ドウ・ビイの呪いを断ち切る。断ち切らねばならない。
幸い(さいわい)、まだ、夜の帳(とばり)は下りたばかりだ。
まだ暗がりの中、僕はその部屋の前で
言葉の通りに、棒立ちで在った。
窓からは少しひんやりとした冬の匂いと共に、
降り始めた雪をまとった風が、入り込んでくる。
鼻から、鼻腔にかけて、その冷たい空気を吸い込む。
そのまま浅く吸い込んだそれを、ゆっくりと
降り始めた雪が溶けてしまうほどの、時間をかけて。
吸い込む。吸い込んでいく。
音もなく、しんしんと降る雪を外目に
なびく、カーテン。そよぐ、前髪。
吐き出さない。まだ、吐き出さない。
脳内の酸素濃度をそのままに、きもちを落ち着かせていく。
右手には、タオル。
左手には、包丁。
ぎらぎらと、光る、包丁。
今朝、ウインナーと、ほうれん草を切った、包丁。
ぎらぎらと光る包丁。
黒くプラスチックの加工が施された包丁の柄(え)を
ぎっ、と握ると。
じんわりと、手のひらの汗が濃くなっていくのがわかる。
汗は手のひらから、柄に伝い、その熱で
この呪いを「解かす」だろう。
タオルを右手に、ぐるりと巻き付ける。
巻き付け、その上から包丁を握る。握りしめる。
刃(は)は、上向きでなければいけない。
上向きで持たなければいけない。
上向きで、持たなければならない。
ドウ・ビイ・フォビアの悪夢。
僕は、今も部屋で余韻(よいん)に浸る(ひたる)
父の背後に立った。
:
演出:(場面転換。少しの間をあけ)
:
珍しく山手線が一時間ほど運行停止をした。
私は気にせず、池袋で降りてそのまま。
東口に向かい、サンシャインシティまで出る。
改札を出るとき、ほとんどの人が駅員さんに文句を言っていたけれど。
私は、そういうのってすごく恥ずかしいことだなって思う。
本当に急がなくちゃならないことなら、走ってでも向かえばいいのに。
止まってしまったことを嘆いても、仕方ないことだから。
そんなところで無駄に時間を使うなら、少しでも進んでいたほうがいい。
敷き詰められたタイル張りの床を一歩一歩踏みしめて、私は歩くよ。
一昨日買った、ピンクのカーディガン。
男女共通の、赤いネクタイ。
白と、黒の、しましまのマフラー。
切らずに、折っただけの、少し短めのスカート。
不思議の国のアリスがモチーフになっている、
アドベンチャーガールの、リュックサック。
女子高生として完全に武装をした私は軽やかに町に繰り出す。
外に出てみれば、どうってことないただの喧噪のまちなみ。
駅ナカとただひとつ、違うのはここはビル風があまりにも強いってことだけ。
「お、君かわいいね?いくつ?彼氏いる?」
「眼鏡レンズ安くなっておりまーす!」
「やだまじで、それ絶対浮気だって。」
「我々は大切な約束を放棄されている!神よ!!」
「ぜひお試しくださーい!」
ただこの人込みを歩くだけで、私とは違う、関係のない会話と人生が。
この町には漂っていて、私を侵し始めるのを、私は拒んだ。
拒んだから、ケンウッドのエムディープレイヤーで
私はコールドプレイを爆音で流しながら、それをヘッドホンでこの耳にねじ込むのだ。
ヘッドホンを愛するのは、音楽を愛するためではなく。
あなたの言葉を聞かないためなんだよって。これ、私の名言。
:
ちらちらと。人込みに。あの人が。紛れ込んでいる。妄想に。
かられる。ぎらぎらとした。ぎらぎらとした。ぎらぎら。
:
脳内にべったりと貼りつく記憶というのは、髪の毛についてしまった
チューインガムと似ているような、そんな気がする。
なかなか取れない上に、無理に引っ張ればせっかくのパーマがすべて台無しになる。
でも、放置するわけにもいかない。どうしようもなく、うろうろして。
なんの意味もなく、部屋の隅を確認してみたり。
箪笥の中を洗いざらい見てみたり。
食器棚を、ひっくり返してみたり。
サンシャイン通りは今日も人でいっぱい。
もう閉店してしまったウェンディーズの事なんて
誰も気にも留めずに。通り入り口のロッテリアに吸い寄せられて
みんなエビフィレオを頬張る。
一番最初の十字路を右に曲がると、愛を育む専用のホテル「ナポリ」がある。
フリータイムで三千円くらい。池袋で一番安いホテル。
宿泊ですら五千円未満。その代わり部屋は汚いし、おばけが出る。
壁は薄いからとなりの男女だか、男同士のめめしい別れ話なんかも
ぜんぶぜんぶ、聞こえてくる。それでも人々は我慢する。
もしくはあなたに夢中になる。他なんて見えなくなる。
:
たぶん人生っていうのは、そうなんだ。
ひとりひとりの、イバラードをそうやって探さなくちゃいけない。
イバラードがなんなのか?は人によってまったく違う形で。
ラピュタ石(せき)みたいに多角的であったり、ヒト型であったり、多面的であったり。
もしかすると目には見えないかもしれない。だから、ずっと。
それぞれのイバラードを探し続ける。
兄の手帳からはよく「ドウ・ビイ」という言葉が出てきた。
それは呪いと称されていたり。悪魔と名付けられていたり。
はたまた「大罪」とも記されていた。
「ドウ・ビイ」
「DO。」しろ。
「BE。」なれ。
「人間は何かをしなくちゃいけない。」
「人間は何かにならなければならない。」
なんて窮屈な世界。
もっと、今いるその場で満足することができれば。
もっと、今の、目の前のしあわせに満足することができれば。
ドウ・ビイ・フォビア。
なんて難儀な恐怖症なのだろう。
左手に、大きなゲームセンターが見える。
赤い看板のとても大きく、サイゼリアと一緒になっている大型店舗だ。
私と同じ、女子高生たちが黄色い声を出しながら中へ中へと行軍していく様は面白い。
きっとこれから彼女たちは、みんなで同じ顔をしてプリクラを撮ったり
ユーフォーキャッチャーで原価数百円のぬいぐるみを
取れても、取れなくてもわいわいと楽しむのだろう。
私はその光景と、店舗の外観のひび割れの数を数えながら
外付けされているコインロッカーだけを利用するのだ。
5番ロッカーの鍵をあけたまま、私はアドベンチャー・ガールのリュックから
黄色い雨合羽を取り出すと、それを頭からすっぽりとかぶった。
周囲のゴスロリ服の地雷メイクの女の子や、ラスボスみたいな髪型のホスト達がちらちらと
まるで異質なものを見るみたいに、じっと視線を送ってくる。
あ、いや、異質なのか。
でも、そんなの知らない。
きちんとフードを深くかぶり、顔の周りを少しすぼめて。
チャットモンチーの「シャングリラ」のPVみたいに。
黄色いテルテル坊主のできあがりだ。
靴も、ゴム製の長靴に履き替える。
これも、この日の為に買ったやつ。
ビビットカラーのドットプリント。この長靴を履いた私は最強なのだ。
あとは、私には少し似合わないかもしれない、
スージーズーのキリンのパッチズのがま口財布。
これに、三千円と二百円を入れておく。
:
準備はできたよ。待っててね。
:
それから私は、開けておいたロッカーに革靴とアドベンチャー・ガールをしまい
二百円を投入したあと、かちゃりと鍵を閉める。あとで二百円帰ってくるんだって。
すごいよね。考えた人天才なんだなって思うよね。
鍵をがま口にしまって、そこからはもう。
私はまるで妖精にでもなったかのように、交差点という交差点を
風のように抜けていった。雨も降らない晴天の中で、私はどれほど変に見えるのだろう。
それらすべてを置き去りに、私は軽やかにステップでも踏むかのように
サンシャインの街並みを駆けていった。
ビルの合間をまるで迷路みたいに進んでいった先に、それはある。
はっきりと、隠れ家なのだとわかる。秘密基地。
不良娘の、秘密基地。
目的地に近づくにつれて、雨合羽を着たにこやかで、軽やかな人波が増えていく。
カラフルな、ポップヒューマン。
雨なんて、降っていないのに?
いいんだ。雨は降る。雨は降るから。
これから、とびっきりの雨が。
今日はいったいどんな色に染められてしまうのだろう。
どんな雨を降らせてくれるのだろう。
わくわくとドキドキの胸の高まりと比例して、
私の足は速度を増し、がっぽがっぽと長靴が鳴る。
わくわくがとまらない。
演出:(少しの間をあけて)
人間には、二つ、呪いがかけられている。
DO。(どぅ)
BE。(びぃ)
ドゥ、しろ。ビィ、なれ。
何かをしろ。何かになれ。
何か偉大なことをしろ。
何か偉大な人間になれ。
何か人の為になることをしろ。
何か人の為に生きられる人になれ。
もうすでに。ドゥ。しているし。
もうすでに。ビィ。なっているはずなのに。
「お兄ちゃん、今日は冷えるからちゃんと温かくして寝てね。」
嗚咽の途切れた部屋の、扉を隔てた向こうから
穂のかの声が聞こえる。
穂のか。優しい穂のか。
僕は穂のかの為に。
ドウ・ビイの呪いを断ち切る。断ち切らねばならない。
幸い(さいわい)、まだ、夜の帳(とばり)は下りたばかりだ。
僕は、父の背後に立つと、思い切り深く、首の根本だけを狙い。
右手を振り下ろした。
のど元には、達しなかったためか、父であった「それ」は
首を切られた酒呑童子(しゅてんどうじ)のように
髪を引きちぎられた死体のように
苦悶の表情ともとれる、空虚をにらみつけるような顔で、眼(まなこ)で
僕を強く、強く、睨みつけ、その眼光のまま、その姿のまま。
刃(は)は、上向きでなければいけない。
上向きで持たなければいけない。
上向きで、持たなければならない。
下向きに持つと、滑った拍子につるりと刃が滑ってしまう。
上向きでなければ、いけなかった。
まず見えてきたのは、確実に使われていない旧式の自動販売機。
箱の側面には、何年も前にしんじゃったグラビアアイドルのポスターとか。
前衛的すぎる、太った男性が分裂しているようなグラフィティや
崩れたアルファベットが羅列されたシールがべたべたと貼られている。
そして、小さくこじんまりと背中の曲がったお婆ちゃんがぽつんと
座っているだけの、古い煙草屋。店番には、何歳なのかもわからない
顔に白髪がかかった三毛猫がいる。
たまに、薄く目を開いて鼻を鳴らすけど基本的には動かず、鳴きもしない。
その隣に、在る。それが、不良娘の、秘密基地。
近代複合アートハウス。
「goldonot」(ゴオル・ドゥ・ノット)
外観はとてもシンプルで、鉄製の重たい扉がどっしりと構えられた
一見なんてことない古いビルだ。
しかし、いざその扉を開くと、道は地下へと進んでいく。
真実はいつも見えないところにあるんだ。
大事なことは目に見えないって、星の王子様でも言っていた。
建物自体はフェイクで、ただのハリボテなのだ。
この建物は、元々戦時中に防空壕として使われていた巨大な穴を
埋め立てるような形で作られた、金持ちの道楽のようなもので。
「ここってさ、不思議の国のアリスの、落ちたウサギ穴みたいだよね。」
他のテルテル坊主たちがひそひそと話す。
かつかつと足音が反響をはじめる。地下に潜るこの感覚が、段々とこの空間の
「異世界感」を「摩訶不思議」を「異様さ」を形どっていく。
降りた先では、黒髪の綺麗な女の人に入場料千五百円を払う。
「あら、穂のかちゃん。今日は来てくれてありがとう。これ、ドリンクチケットね。」
彼女はそういうと、私に「アリクイ」が描かれた缶バッジを渡す。
「ありがとう、今日のおすすめは?」
彼女はにまっと笑うと
「アルコールならシンデレラ。でも穂のかちゃんなら、ノンアルコールのブルーハワイかな?」
「わかった、ブルーハワイね。」
暗く、広く、空間が続いている。
バーカウンターの前には、見知った顔がいて。
私はその人のもとへ駆け寄る。
「青(あお)さん。お久しぶりです。」
「おお、穂のかちゃん。久しぶり。今日はいい合羽着ているね?」
からからと笑う彼のその表情が、どことなくゴールデンレトリバーみたいで。
彼が笑うたびに、少しどきどきする自分もいる。
「やっぱり、ちゃんとした合羽、着たかったので。」
「いつまでたってもコンビニの合羽じゃかっこつかないもんな。似合ってるよ。」
「ふふ、ありがとう青さん。」
アリクイのバッジをカウンターの中にいるお兄さんに渡すと、飲み物と交換してもらえる。
ブルーハワイを受け取ると、私は青さんと共にカウンターから離れた。
フロアはライブハウスのようになっていて、時折ミラーボールの光が目に入る。
時折感じるその眩しさも、きらきらと、ぐるぐると回る。回る。
フロアミュージックはエイトビットのチップチューン。
懐かしいピコピコサウンドの中、たくさんのテルテル坊主たちが思い思いの場所で
「彼」の登場を待ちわびている。
「・・・今日は、学校、いけたか?」
先ほどより、黒目を少し黒くして、青さんは言う。
「・・・最寄り駅までは。」
「上出来だよ。」ごつごつとした、大きな手のひらが頭をなでる。
兄も、よく私の頭を撫でた。
後に兄が、私をどれほど大事にしてくれていたのか、なんてわかりすぎる程わかりすぎた。
兄は、兄を演じていたのだろうか。
兄は、兄をしなければならない。ならなければならない。と。
悩んでいたのだろうか。
その恐怖症と戦いながら、私の事を愛し、頭を撫で、朝食にウインナーを焼き
私のために、働いてくれていたのだろうか。
兄の亡霊のようなものが、いつも、世界にちらつく。
ぎらついて、ちらついて、そこから、私の頭を奈落へと。深淵へと。突き落とすのは簡単なんだ。
満月の日だった。いつも決まって、満月の日だった。
だから、月なんて嫌い。嫌い。嫌いだ。大嫌いだ。
「穂のかちゃん、顔。」青さんが、言う。
「・・・ごめんなさい。」大丈夫、と青さんはひたすらに優しかった。
フロアには、ステージがふたつある。
ひとつには、ギターやベース、ドラムにアンプ。
どこにでもある、純粋なライブハウス仕様の装備が整っている。
青さんは、ここに立つのだ。
さっき、チケットを販売していたのが「ぶちょーさん」。
青さんと、ぶちょーさんは、この後ステージにあがるんだ。
音楽のことはよくわからないけれど、フェンダーとかギブソンのやつだよって
青さんが言ってた。あとヤマハ!ヤマハはさすがに私でも知っていた。
そしてもう一つの、ビニールシートで覆われたステージ。
これらのステージは、対面となっており前と後ろにて観客を挟むように作られている。
そのシートのついたステージには、畳何枚分もある大きなキャンバス。
そして、刷毛やローラー。タオル。布。ペンキ、スプレー。
様々な塗料と、画材たち。
「ツェー。ハー。マイクテスト。ツェー。ハー。」
ぶちょーさんが前方のステージで準備をはじめた。
青さんも、ちょっといくわと一言残して、ステージにあがる。
でも私は、そっちのステージには用はないだ。ごめんね、青さん。
いいよ、ゆるす、うん、そういってくれると思ってた、ありがとう青さん。
脳内謝罪を済ませて、私は後方の、キャンバスの前を陣取った。
「チェックチェック。ツェー。ハー。」
よし、と一言ぶちょーさんが漏らすと、フロアはゆっくりと暗転し
チップチューンはどこへやら。みんなのざわつく声と。
がちゃがちゃと、機材の運ばれる音。そして。
静かに、だれにも見られないうちに。
「はじまるよ。」後方のステージにはいつの間にか「彼」がいた。
キャンバスの周りをぐるりと見渡して、「彼」はキャンバスの前から動かなくなった。
暗転したまま、暗がりにも目が慣れてきたところ、
じわりじわりと青いスポットライトは、前方のステージを照らし始める。
まだ、「彼」は動かない。私も動けない。いや、動かなかった。
少しの静寂の間、私は「真っ暗森」から不意に現実に引き込まれた。
背面から、黄色い声援が飛び交う。そこには、おそらく
儀式的に集められた、数百の、まなこを光らせるてるてる坊主の、群像。集団。偶像。
飢えたわけではない、狙っているわけではない、ただ、渇望した。望んだ。
そこに、いのちが在れ、と。そこに、魂があれ、と。
「はじまるよ。」「うん、はじまる。」どこからか聞こえた声。
一瞬のノイズのあと、聞こえた。
「皆さん、こんにちは、今日は雨が降ったのかな。かわいいよ、みんな。」
「どうも、鬼テンジクネズミみたいに生きてみたい。」
「【オラトリオ】です、よろすこ。」その言葉と共に、「彼」と「音楽」は、このフロアに産まれた。
これが、爆発なんだ。そうでなければ、こんな怒号のような歓喜。ありえない。
「彼」と「オラトリオ」の「いのち」が今、はじまった。
続。
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