臍帯とカフェイン(2:2:0)

◆シナリオ/シチュエーションを使用する前に必ず上記利用規約をお読みください。

【登場人物】

薊:あざみ 女性 不妊症に悩む

柊:ひいらぎ 男性 デリカシーがない

看護師:女性

医師:男性

0:ト書きとなっていますが、過去ボイコネにアップしていた兼ね合いでト書きと分類しています。「薊」のモノローグとしてお読みください。



薊:私はきっと、恐らく、不確かに。

薊:なんとなく、そういった人生なのだと、理解していたのかも知れない。

薊:カラカラとケージの中の滑車が回る。

薊:夫が淹れるコーヒーの匂いが、部屋に充満し。

薊:その度に咽かえるような、子宮のうねりを無かった事にしたみたいに。

薊:腹の膨れていたはずの私のハムスターは、その日、誰に祝福されるわけでもなく。

薊:ひっそりと、自身の小屋の中で小さく「愛」を産み落としていた。



『臍帯とカフェイン』



柊:はい、コーヒー、入ったよ。


薊:……。


柊:ちゃんとノンカフェインのやつ。間違えてないよ。


薊:……うん。


柊:飲まないの?


薊:……。


柊:……あっそ、好きにしなよ。


薊:柊くん。


柊:なに?


薊:もちこ、「生まれた」みたい。


柊:え?ほんと?どれどれ。



0:夫は、興味津々といったような顔でケージに被せた暗幕をめくる。



薊:急に開けたら、


柊:大丈夫、ちょっと見るだけだよ。



0:もちこと名付けた私のハムスターは、先日インターネットで知り合ったオスハムスターとお見合いをした。

0:私自身に出来ていない事を、こともあろうかハムスターに押し付け

0:私はこの不安や焦燥感を少しでも紛らわそうとしたのだ。



柊:どれどれ、もちこぉ、一体何匹産んだんだぁ?



0:威嚇をするような、歯をぎちぎちと鳴らす音が聞こえる。

0:あれだけ人慣れをしていた「もちこ」が、もう「野生の母」なのだ。

0:その空間には、恐らく愛しか存在し得ない。

0:最上級の、誰にも暴くことのできない「愛」がそこには在りうるのだ。



柊:……いち、に、さん、し、ご、六匹生まれてるね。


薊:六匹。


柊:ハムスターにしては多いのかな、少ないのかな、どうなんだろうね。


薊:もっとちゃんと調べておけばよかったね。


柊:まあいいさ、いいさ。おめでたい事には、ほら、変わりないわけだし。



0:ぴいぴいとも、ぎいぎいともとれる小さな、今にも潰れてしまいそうな鳴き声で小さい生まれたばかりの赤ん坊達が鳴いている。



柊:ちっちゃいなあ、ほんと。赤ちゃんってさ、親に愛される為に必ず可愛い姿で生まれてくるんだってさ。知ってた?薊。


薊:うん、なんか聞いたことある。「ベビースキーマ」ってやつだよね。


柊:そうそう、養育者の本能をくすぐる為にさ、かわいく生まれるってやつ。


柊:さぁて、もちこぉ、ベビーのご尊顔(そんがん)を拝ませてもらうぞぉ…………。


柊:………………。



0:夫が、固まっている。



薊:……どうしたの?


柊:あ、いや……その…………。



0:青ざめた顔が、私に振り替える。

0:「変なのが、いる。」夫はそう一言告げると、生まれたばかりのハムスターの一匹をつまみ上げ

0:キッチンへと向かった。

0:100円均一で買った足ふみマットがすこしじんわりと濡れている。

0:それが分かるほど、きっと部屋は冷え切っていたのだ。

0:夫の淹れたコーヒーから湯気があがっている。

0:シンクには、洗いかけのお皿が溜まる。料理は好きでも、片づけられない夫の癖だ。



薊:私はきっと、恐らく、不確かに。

薊:なんとなく、そういった人生なのだと、理解していたのかも知れない。

薊:カラカラとケージの中の滑車が回る。

薊:夫が淹れるコーヒーの匂いが、部屋に充満し。

薊:その度に咽かえるような、子宮のうねりを無かった事にしたみたいに。

薊:腹の膨れていたはずの私のハムスターは、その日、誰に祝福されるわけでもなく。

薊:ひっそりと、自身の小屋の中で小さく「愛」を産み落としていた。

薊:ただ一匹、六匹のうちの一匹は、酷く顔が裂け、潰れ、「ぎゅちぎゅち」と

薊:醜く哭く奇形児だった。その奇怪さは、まるで先天的な病に侵された人のような。

薊:それを「愛」であると形容するのは、「愛」にも、「母」にも失礼であるぐらいに。

薊:酷く醜い、姿だった。



0:ぽたりぽたりと、締めきれていない蛇口から雫が落ちていく。

0:そのリズムに合わせながら、夫はシンクの三角コーナーへと「それ」を放った。



薊:どうして?


柊:「かわいそう」だろ。


薊:「だれ」が。


柊:「解る」だろ、そんなこと。


薊:わかんない。


柊:「解れ」よ。



0:「それ」は、赤い三角コーナーで、昼に切った人参と共に蠢いている。

0:日に照らされた蚯蚓(みみず)か、はたまた揺らめく蜃気楼かのように。

0:数分、ほんの数分、もぞもぞと動き、醜く哭いた。

0:この世を恨んだか、それとも私か夫か、なんとも思わなかったか。

0:冷たいプラスチックの檻の中、「それ」は冷たくなっていった。



薊:どうして。


柊:コーヒー、冷めるよ。


薊:わからないよ、ねえ。


柊:たかがハムスターだろ。


薊:たかがじゃないよ。


柊:じゃあ、お前はあの奇形のハムスターをそのまま育てられるのかよ?


薊:じゃあ、あなたは自分の子供にも同じ事ができるの?


柊:……何言ってんの?


薊:……。


柊:はは、そういうのはさ。



柊:「子供産んでから」言ってくれる?



0:2か月前



柊:……「時転式受妊法(じてんしきじゅにんほう)」……?


薊:う、うん、受けてみようと思うの。


薊:今日ね、高校生時代の友達でね、佳子(よしこ)って覚えてる?


柊:あー……藤岡さん?


薊:うん、そう、佳子もね、不妊で悩んでたみたいなんだけど

薊:あの、ほら、テレビでもやってる有名なクリニック。

薊:あそこでね、治療したら、できたんだって、その、赤ちゃんがね。


柊:薊は……


薊:…うん。


柊:薊はさ。


薊:うん。


柊:そこまでして、子供が欲しいの?


薊:……うん。


柊:なんで?


薊:それは、だって、お義母様やお義父様からも孫はまだかって。


柊:うん。


薊:「あなた」だって、男の子が欲しいって。


柊:言ったね。


薊:うん、だから、その。


柊:薊はどうなの。


薊:……私だって、欲しいよ。


柊:そっか。



0:夫は、私の差しだしたパンフレットを誤字でも探すみたいに

0:隅から隅まで読んで、また口を開く。



柊:タイムマシンを使って不妊治療、ねえ。


薊:うん。ようするに、一番健康で若かった頃の身体を使うんだって。

薊:受精卵だけを飛ばす事になるから、その、転移装置の値段もそんなに高くないし

薊:それに、上手くいけば今出産することもできるんだって。


柊:タイムパラドックスの問題はどうなるんだよ。


薊:そのあたりは大丈夫みたい、本来生まれるべきだった子供が生まれる事に間違いはないから倫理会からも許可がでてるって。


柊:……本当にやりたいの?


薊:……うん、試してみる価値は、あると思う。


柊:……コーヒー飲む?


薊:……え?


柊:飲みながらさ、子供の名前、もう一回考えよ。


薊:……うんっ!



0:そうして私と夫は、デイカフェのコーヒーの粉末を掬いながら

0:他愛ない会話と、愛にあふれた会話を交互にしながら

0:この先生まれてくるであろう子供の顔を想像して、名前を宙に浮かべていった。

0:何度も、何度も何度も、まるでもう本当に子供が生まれたみたいに。

0:その時間も、夫の顔も、空気も、このコーヒーの匂いも、寒くなって来た季節も。

0:すべてを「愛」だと、思えていた。

0:なにもかもが、すり抜けず、通り過ぎず、ただこの時間のためだけに。



0:無機質な空間だった。

0:受付を済ませ、案内されるがままに廊下を歩く。

0:行きついた先は、本当に何もない、無機質な空間だった。

0:診察台に、申し訳程度にテレビとアダルトDVDが置いてある。

0:どんなに時代が進もうが、技術が進歩しようが

0:人の目につかせたくないものは、裏は、裏のままなのだろう。



柊:ここで、受精を?


看護師:はい、まずは旦那様のほうで、採取お願いしますね。


柊:はぁ……。


看護師:いかがなさいました?


柊:いや、その。


看護師:なんでしょう?


柊:随分、古典的な方法なんだなって。


看護師:……ああ、この、摂取方法ということです?


柊:え、ええ。つまり、自分でしごいて出せ、ってこと、ですよね。


看護師:文化的で技術的になった我々人間がですね、


柊:え。ええ、はい。


看護師:唯一、古来より変える事が出来なかったのは、なんだと思います?


柊:……え?


看護師:生活様式も、知識も、何もかもが一新していく中で

看護師:唯一「繁殖」だけは、大昔と何ら変わりない。

看護師:「穴」に挿して、「出して」、「結合」して、「分裂して」「育つ」。

看護師:そうでしか、生きられないんですよ、私たち。


柊:そうでしか、生きられない。


看護師:だからこの治療法も、「ぎりぎり私たちが愛と性を、生として捉えることのできる」最低限の倫理を用いて存在しているのです。


柊:なる、ほど。


看護師:では、「出たもの」はこちらのシャーレにお願いします。


柊:あ、はい、すいません。


看護師:……まあ、本当ならね。


柊:えっ?


看護師:試験管で作ってしまうのが一番効率的なんですよ。


柊:……「こども」を、ですか?


看護師:いいえ。


看護師:「人間を」ですよ。



薊:東京の空はもう、星が見えなくなってしまった。

薊:宇宙人は来なかったし、

薊:高速移動する真空管パイプなんて存在もしない。

薊:「ねえ知ってる?」と母に何度もSFじみた空想を話す幼少時代が霞む。

薊:時代は、未来に来たのだ。

薊:そうやって、人類は歩みを進め続けた。



0:そうして、私たちは夫婦となった。



薊:そうして、



0:そうして、私たち二人には、「何も産まれなかった」。



柊:……コーヒー、飲む?


薊:……うん。


柊:……はい。


薊:……これ、ノンカフェイン、じゃ、ないよね。


柊:あ。


薊:……なんで?


柊:ごめんって。


薊:いつもそう、そうやって、すぐ忘れる。


柊:ごめんってば。


薊:私の身体が大事じゃないんだ。


柊:大事だってば。


薊:うそだよ、そんなの。


柊:大事だよ。


薊:私の事も赤ちゃんの事も大事なんかじゃないんだ。


柊:ちがうって。


薊:何も考えてくれてないんだ。


柊:違うって言ってんじゃん。


薊:いつもそう。


柊:…………たばこ、吸ってくる。


薊:やめるって言ったじゃん。


柊:やめてるだろ、「お前の前では」。


薊:……そういうことじゃないじゃん。


柊:……うるさいな。


薊:うるさくなんてないよ、普通でしょ、普通に考えてよ、普通に考えたら、普通にわかるでしょ、ねえ。





医者:それでは本日、四回目の治療となりますね。


薊:はい。


医者:あれからいかがですか。


薊:……それが、その。


医者:いえ、いいんです、全てを言わずとも。


医者:お辛いでしょう。


薊:……はい。


医者:でも、安心してください、こういった事はですね、時間と根気がどうしてもかかるものなのですよ。


薊:はい。でも、その。


医者:はい?


薊:友人は、その、一回の治療で……


医者:ええ、そうですね、確かにそういった方もいらっしゃいます。

医者:ですが、こればかりは。

医者:私たちは「人間」を作っているのではない。


薊:どういうことですか。


医者:だって、そうでしょう?奥さん、考えてもみてください。

医者:人が人を「創ろう」だなんて、神への冒涜ですよ。

医者:少し前までね、それこそ、ええ、試験管ベイビーだなんて言葉がはやりましたけれどもね。

医者:あんな、ガラス製の器で育てる事に「倫理」がありますか、と。

医者:それこそですよ、奥さん、「命とは尊い」。

医者:「尊いがゆえに、尊ばなければならない」。

医者:命なんですよ、それは、それはどうしたって、命だ。


薊:私はきっと、恐らく、不確かに。

薊:なんとなく、そういった人生なのだと、理解していたのかも知れない。

薊:カラカラとケージの中の滑車が回る。

薊:夫が淹れるコーヒーの匂いが、部屋に充満し。

薊:その度に咽かえるような、子宮のうねりを無かった事にしたみたいに。

薊:腹の膨れていたはずの私のハムスターは、その日、誰に祝福されるわけでもなく。

薊:ひっそりと、自身の小屋の中で小さく「愛」を産み落としていた。



柊:はい、コーヒー、入ったよ。

薊:……。

柊:ちゃんとノンカフェインのやつ。間違えてないよ。

薊:……うん。

柊:飲まないの?

薊:……。

柊:……あっそ、好きにしなよ。

薊:柊くん。

柊:なに?

薊:もちこ、「生まれた」みたい。

柊:え?ほんと?どれどれ。

0:夫は、興味津々といったような顔でケージに被せた暗幕をめくる。

薊:急に開けたら、

柊:大丈夫、ちょっと見るだけだよ。

0:もちこと名付けた私のハムスターは、先日インターネットで知り合ったオスハムスターとお見合いをした。

0:私自身に出来ていない事を、こともあろうかハムスターに押し付け

0:私はこの不安や焦燥感を少しでも紛らわそうとしたのだ。

0:これでもう、七回目の失敗だった。

0:私の「胎(はら)」は、時折彼を喜ばせるただの「袋」なのだ。

0:試験管や、シャーレ、ガラス製の器に入れられ運ばれていく私たちの「受精卵」は。

0:肉の温かみや、内臓の匂いを知らぬまま、時を旅するのだ。

0:では、「私はなんだ」?

0:こうして膨れぬ胎をさすりながら、では、「私」とはなんなのかを夢想する。

0:夢想で、終わればよかった。

0:終わるわけが無い、答えが出るはずもない。

0:宙に浮いたままの私の「問答」は、以前宙に浮かべたハズの

0:「我が子」の名前と共に、そのままだ。

0:そのままだ。

柊:はは、そういうのはさ。

柊:「子供産んでから」言ってくれる?


0:三角コーナーには、干からびた人参と

0:動かなくなった「それ」が鎮座して久しい。



柊:……コーヒー、飲むけど。


薊:そう。


柊:そこ、どいてくれる。


薊:……。


柊:そこ、どいてくれる。



0:シンクの前で棒立ちになる私。

0:目線は三角コーナーから外せず、返事もなあなあだ。



柊:チッ……いいよもう。


薊:どうして、この子を殺したの。


柊:またその話かよ。


薊:柊くんはさ、子供なんて欲しくないんだ。


柊:そんな事言ってないじゃん。


薊:どんな子でも愛そうって、愛する覚悟が無いからそんな事ができるんだ。


柊:……あのさ、いい加減にしろよ。


薊:柊くんが、本当に子供が欲しいって思ってないから、愛してるって思ってないから

薊:赤ちゃんも私たちのところにこないんだ。


柊:……は?


薊:謝ってよ。「もちこ」に。「この子」に謝ってよ。


柊:お前さ。


薊:謝ってよ!!!!


柊:いい加減にしろよ!!!


柊:子供子供子供ってさ、うるせえよ、お前はさ。

柊:いらねぇよ、そんな風になっちまうなら子供なんてさ!

柊:いらねぇよ!!!


薊:……なんで、そんな事言うの。


柊:無理して作る必要なんかねぇだろ、こんなやり取り続けるのもうんざりだよ。


薊:ひどいよ。


柊:もう、どいてくれよそこ、いつまでも残しとくからいけないんだ。


薊:何する気。


柊:片づけるんだよ、その三角コーナーの……


薊:やめてよ!!!


柊:たかがハムスターの奇形児を棄てたくらいで何なんだよ!!!


薊:たかがハムスターの奇形児じゃないよ。

薊:「もちこ」の赤ちゃんだよ。


柊:もう死んでたようなものだろ!外に出してすぐに息絶えたんだぞ!


薊:そんなことない、そんな事ないもん


柊:いい加減にしろよ、お前おかしいよちょっと


薊:……は?


柊:ノイローゼなんだよ、少し休みなよ、ほら


薊:私はおかしくなんかない!!!

薊:おかしいのは柊くんだよ!!!

薊:どうしてやっと授かった命をそんな簡単に諦められるの?

薊:奇形児だからってなに?

薊:三角コーナーに捨てるくらい、どうでもいいって思ってるんだ。

薊:私との子供だって、そんな、そんな風に思ってるんだ。

薊:私のことも、子供のことも、真剣に考えてなんてないんだ!

薊:私のことだって、子供ができないおかしい身体だって、おかしい胎だって、おもってるんだ。

薊:ただの「袋」だ、私のこと、そんな風にしかきっと思ってないんだ。

薊:子供も産めないこんな胎は、ただ、気持ちいい袋でしかないんだ。


柊:いい加減にしろよ!!!!!



0:初めて、殴られた。夫の手のひらは電撃のように熱く。

0:これは雷(いかずち)で、これはマグマで、これは罰だと思った。



柊:お前、本格的におかしいよ。こんな状態で子供なんて作れないだろ。


薊:……自分が、欲しくないだけでしょ。


柊:……。

柊:なあ、薊。

柊:本当に子供が欲しくないのは、「お前」だろ。



0:からからと廻っていた滑車は、次第に弱くなり、もう回転を止めてしまっている。

0:暗幕から時々覗くと、少しずつひまわりの種が減っているのがわかる。

0:ケージの中で、子供を「産んだ」のか「産まされた」のか。

0:もちこは「母」であることに違いは無かった。

0:割れたマグカップは、かつて一緒に買ったお揃いのもの。

0:写真立ての私はうれしそうに左手の指輪を見せつけている。

0:「これが貴方の望んだ未来でしょ?」って、見せつけている。



薊:……もちこ、赤ちゃんはどう。



0:ケージの入り口を開けて、手を伸ばす。

0:ケージの隅の方でうずくまったハムスターは、酷く震えている。



薊:怖いね、ごめんね、大丈夫だよ、赤ちゃんとったりしないからね。



0:もちこの背を撫でる。

0:小刻みに震えたからだは、恐怖ではなく、私に対する怒りなのではないだろうか。



柊:……指、噛まれるよ。


薊:いいよ、別に。


柊:……俺らはさ、努力してきただろ?


薊:努力。


柊:そうだよ。だからさ、このあたりで一度休んでもいいだろ。


薊:あなたはただマスかいてただけじゃない。


柊:…………わかった、もういい。


柊:君も、ただ股を開いてただけだ。そうだろ。


薊:そうね。


0:とも、言わなかった。


医者:それでは、本日で治療は終わりということで。


柊:はい、妻の負担になる事は一度やめようかと。


医者:そうですか、ええ、そうですか、わかりました。


看護師:残念です。


柊:いいんです、それが私と妻の為でもあるのです。


医者:それでは、奥様、本日で治療のほうは「終わり」とさせていただきますね。


薊:「終わり」ですか。


医者:……? ええ。「終わり」です。


薊:「治った」ではなく「終わり」だと言うのですね。


柊:お前は黙ってろもう。


薊:どこに消えたのでしょうか。


柊:おい。


薊:私の、子供であるかもしれない受精卵たちは、一体どこにいったのでしょうか。


柊:おい。


看護師:……次の方がお待ちですので、受付でお待ちいただけますか。


薊:ねえ、先生、私の受精卵はどこにいってしまったんですか、ねえ。


柊:薊!やめろって!!!


医者:……「あなたの中」ですよ。


薊:……。


医者:間違いなく、「あなたの中」です。

医者:ヘタをすると、過去の治療法よりも可能性が高いのです、この治療法は。

医者:なにせ、確実にいつ、排卵があって、着床があって、わかっている事を、データを元に

医者:最善の日に、「こどもになるもの」を送り飛ばしているのですから。


柊:……。


薊:……そうですか。



0:ー--受付。



柊:帰ったら、コーヒーでも淹れようか。


薊:……。


柊:そろそろさ、もちこの赤ちゃんの貰い手も考えないと。


薊:……。


柊:……養子を貰うことだって、できるだろ、なあ。


薊:……。


柊:そうやっていつまで拗ねてるつもりなんだよ。


薊:私はただの袋。


柊:またそれか!!!



0:周囲がざわつく。



柊:ただの袋ただの袋って、なんだよ、それはさ、ずっとずっとずっと。

柊:俺だってあんな恥ずかしい想いしながら、一生懸命「提供」しつづけたんだぞ。

柊:お前がただの袋なら俺はなんなんだよ!



0:夫が騒ぐ中、私の頭はキューブリックのあの映画のようだった。

0:映画の最後は、治療を受けたはずの青年の脳内を映し出す。

0:「治療は終わりました」「私は正常です」

0:そう流れるテロップの背景では、青年と娼婦が馬乗りになりながら

0:性と暴力の限りを尽くす。

0:私はそれすらも、「生み出せない」。

0:価値とか、意義とか、人生とか、そんな陳腐な話ではなく。

0:ただ何もない事が、私なのだと、思っていた。

0:すり抜けて、消えていったものすべてが、愛しかったすべてのように感じる。

0:ただひとつ、事実として、

0:私は「愛」を産むことなどできなかったのだ。



0:夫が受付で会計をしている間に、私はそろりと抜け出し

0:病院内をうろついた。

0:無機質なのに、温かみのある廊下の奥に「タイムマシン」は置かれていた。

0:そこは、人が一人、丸まればぎりぎり収まるくらいのテーブルで、

0:緑色のケミカルな色が発光している。

0:どんな原理で、どんな風にこの科学が発展しているのかもわからない。

0:壁にはびっしりと、今日「発送」される予定の「受精卵」たちが並ぶ。

0:遠く、扉の奥で夫の私を呼ぶ声が聞こえたような気もする、気がしただけかもしれない。

0:私はただ、私を慰める為に、私に「戻る」他ないのだ。

0:「タイムマシン」とわかりやすく書かれたその台で丸々私は。

0:まるで胎児のようだと、思ったり、思わなかったりした。

0:そういえば、一つ言っておけばよかった。



薊:私、コーヒー嫌いなんだ。



0:とも、言わなかった。






柊:はい、コーヒー、入ったよ。


薊:……。


柊:ちゃんとノンカフェインのやつ。間違えてないよ。


薊:……うん。


柊:飲まないの?


薊:……。

柊:……あっそ、好きにしなよ。


薊:柊くん。


柊:なに?


薊:もちこ、「生まれた」みたい。


柊:え?ほんと?どれどれ。



0:その声と共に、光が差し込んでくる。



薊:急に開けたら、


柊:大丈夫、ちょっと見るだけだよ。

柊:どれどれ、もちこぉ、一体何匹産んだんだぁ?

柊:……いち、に、さん、し、ご、六匹生まれてるね。


薊:六匹。


柊:ハムスターにしては多いのかな、少ないのかな、どうなんだろうね。


薊:もっとちゃんと調べておけばよかったね。


柊:まあいいさ、いいさ。おめでたい事には、ほら、変わりないわけだし。

柊:ちっちゃいなあ、ほんと。赤ちゃんってさ、親に愛される為に必ず可愛い姿で生まれてくるんだってさ。知ってた?薊。


薊:うん、なんか聞いたことある。「ベビースキーマ」ってやつだよね。


柊:そうそう、養育者の本能をくすぐる為にさ、かわいく生まれるってやつ。

柊:さぁて、もちこぉ、ベビーのご尊顔(そんがん)を拝ませてもらうぞぉ…………。


薊:……どうしたの?


柊:あ、いや……その…………。


0:青ざめた顔が見えるような見えないような気がした。

0:ぬくもりに囲まれながら、私は懸命に声をあげる。

0:何度鳴こうとも、この口は「ぎちゅぎちゅ」と不審な音をあげるばかりだ。



柊:変なのが、いる。



0:とも、言わなかった。





きのうからナンセンス

エログロナンセンス文学 18歳以上推奨。

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